陸上自衛隊-久里浜駐屯地(通信)の装備品の展示また、状況開始のアナウンスとともに、素早い行動のもとに、通信設備の展示を見学することができました。
久里浜駐屯地では、時宜に応じて様々なイベントを行っています。
総合火力演習や観艦式、更に、観閲式等メジャーなイベントもさることながら、各地方の駐屯地巡りも国土・国民を守るため努力をされている自衛官の方々のご苦労が体感できます。
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!歴史館見学。65周年記念行事に行きました!
陸上自衛隊-久里浜駐屯地(通信)!65周年記念行事に行きました!
陸上自衛隊-久里浜駐屯地は、全国でも珍しい通信に特化した部隊で陸上自衛隊の『目』・『耳』を担う重要なポジションを占めています。
従って装備は重装備な火器類より、最新の通信機器の装備充足に力点が置かれています。
平成27年10月24日(土)は陸上自衛隊-久里浜駐屯地65周年の日でした!!
ロビン一家は久里浜駐屯地に行き撮影してきました!!
久里浜駐屯地は、昭和14年(戦前)の「海軍通信学校」として開設、昭和25年の警察予備隊発足当時から続く部隊として「陸自久里浜部隊」として受け継がれた、自衛隊としては最も古い駐屯地です。
駐屯部隊は、昭和27年から続く「通信学校」のほか、「通信教導隊」、「(通信団)中央野外通信群」、「(東部方面後方支援隊)通信教育直接支援中隊」、 「第129地区警務隊」、「第316基地通信中隊久里浜派遣隊」があります。
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!歴史館見学。久里浜駐屯地へ出発!
観音崎公園の近くです。
早朝から大隊長は『気合』が入っていました。
午前6時に出発しノア君で横横を横須賀方面に走ります。横横はガラガラでした!
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!歴史館見学。この駐屯地の前身は旧海軍通信学校です!
早目に到着したのでまだ開門前です!
下の画像のように、ココの前身は『旧海軍通信学校』でした。
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!歴史館見学。最新通信機器の展示
1. 下の画像は観閲式の開始です!在日米軍の方も来賓で来ていました。
2. 下の画像は周囲に護衛群が展開する中、30m級アンテナの構築開始です。構築と撤収は迅速に行われます。
当日の場内放送も『状況開始(じょうきょうかいし)』でした!
(1)アンテナを地中に打ち込み、アンカー(ワイヤー)を4方向に張ります。
(2)ジャッキで(1)のアンテナを30m級まで延伸します。
(3)電源車と中継機器
下の画像が電源車と中継ターミナルです。
良質な電源と長時間の発電・通信群を一元集中管理することは、効率的かつ集中運用の重要な要素となります!
(4)下の画像は木更津のベースから飛来したAH-64D 『アパッチ・ロングボウ』です。
(5)下の画像は木更津のベースから飛来した観測ヘリコプターの川崎 OH-1『ニンジャ』です。
(6)下の画像は捜索-レーダー装置 JTPS-P26です。
(7)整然と駐車された車両群の画像です。
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!『ニイタカヤマノボレ』電文起案書他歴史的な資料がいっぱい
太平洋戦争の最終判断を行った『ニイタカヤマノボレ』電文起案書を、久里浜駐屯地歴史館で発見しました。
外交上のつまずきから、多くの英霊が、散華した太平洋戦争。
引き換えすことができなかった太平洋戦争の、きっかけになった文書を撮影しましたので、記事としてアップロードします!
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!歴史館見学。是非、歴史館を訪ねてください!
久里浜駐屯地65周年記念の日に敷地内にある歴史館を見学いたしました!その際にコノ電文起案書を見学できました!
暗号電文の起案書を見学できるとは思っていなかったので、大変重みのある資料を見学する機会を得ることができました!
・元は下の画像のように旧海軍の通信学校だったので、このような貴重な資料が残っていたのです!
・新高山とは、玉山 (台湾)のことです!日本統治時代に国内の富士山よりも高い標高3,952mだったので、富士山よりも「新しく」「高い」山ということで、「新高山」と名づけられました。
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!歴史館見学。『ニイタカヤマノボレ』とは。
1. 日本の周囲はABCD包囲網・アメリカからの戦略的資源が入ってこなくなる等、関係諸国との外交等が悪化していきました。
これに伴って、旧日本海軍は『和戦両様』の構えをとっていました。
*Aはアメリカ(America)、Bはイギリス(British)、Cは中国(蒋介石)(China)、Dはオランダ(Dutch)のことです。
2. この暗号電文が発信される当時、日本とアメリカの両国関係は経済・政治等が風雲急を告げていました。
両国の関係者は様々な手段で国交を正常化すべく、あらゆる努力を行っていたのですがそのギヤーは正しく噛みあいませんでした。
3. そのような中、アメリカの太平洋艦隊の基地であるパールハーバー(真珠湾)の奇襲攻撃が発案されました。
4. 3の奇襲攻撃は機密性があったので、奇襲攻撃を行うか否かは、ある1点の時間と暗号によって行うと前もって決められていました!
*要するに太平洋上のある1地点から日本にそのまま戻って来るか・ハワイに奇襲攻撃に行くかというターニングポイントです!
5. そのターニングポイントの命令書が今回ロビンが見学した、『新高山登レ』-電文起案書です!
この暗号電文によって『太平洋戦争』が開戦となります!
*大変歴史的な価値のある資料です!!
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!歴史館見学。『ニイタカヤマノボレ』電文起案書!暗号電文の概要
1. 送信艦所は『戦艦『長門』(ながと)』と手記されております。
・山口県岩国湾の長門⇒各通信所⇒ハワイに向けて太平洋を航行中の機動部隊への電文です。
・当時の連合艦隊旗艦は戦艦『長門』でした。
2. この電報の発番号は24号です。
3. 発信者はGF(略称ジー・エフ)正式にはGrand Fleet(グランド フリート)となっています!
4. 同じく、発信者名にはGrand Fleet(グランド フリート)長官と明記されておりました。
*要するに連合艦隊司令長官=山本五十六(やまもと いそろく)です。
5. 機密 第676号
6. 起案時は12月2日15時00分
*12月2日午後3時となっています。
7. GF電令作戦第10号
発令日時12月2日 17時30分
*12月2日午後5時30分
8. 本文「新高山登レ 一二〇八」(終)
*暗号名「にいたかやまのぼれ」12月8日(以上)
作戦決行日の一二〇八には傍点がふってあり、日時には特に注意を喚起していることが理解できます。
9. 受信時刻は18時49分と18時55分の2度受信しています。
10. 作成翻訳者は『谷本』氏となっています。
職位・官はわかりません。
11. 周波数は267KC
・周波数は267キロサイクルを使用して、東京通信所(海軍)等を経由し、太平洋を航行中の機動部隊に向けて打電していたことが分かります。
・潜航中の潜水艦向けに浅い深度の海中の潜水艦に(長波・強力な電波)も指示命令の暗号電文を発していました。
*深深度(しんしんど)だと電波が届きません。
*GF(ジー・エフ)も暗号区分名D(ディー)も周波数KC(キロ・サイクル)も英語表記となっています!←ココ大事です!!
陸上自衛隊-久里浜駐屯地イベント!歴史館見学。『ニイタカヤマノボレ』電文起案書!電文起案書の稟議・決裁等
稟議・決裁区分が紙の上部に記載されていますが持ち回りで、口頭で決裁したのか興味があります。
いずれにしても勉強することができました。大変感謝しております!